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坂爪圭吾さん②
- 2015/10/01 (Thu) |
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ああしなさいとかこうしなさいとか、そういうものはもう本当にどうでもいいのだと思う。大事なのは「ああしたくなる」とか「こうしたくなる」ような、(他人から強制されるんじゃなくて)自分から動き出したくなるような空気感で、そうじゃないと、自分の行動を他人の責任にしてしまう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 22
日々に大切なのは「軽やかさ」だと思う。自分の未来に不安を覚えたり、こうあるべきという思いに囚われてしまっている時は、思考も重く、感情も重く、身体も重く、日々に大切な軽やかさを失ってしまう。自分がいいなと思う方にふらっと行ってしまう軽やかさは、時に素敵な扉を開いてくれる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 24
嫌いなひととの付き合い方とか、嫌いな仕事との付き合い方とか、嫌なことを無理をしてでも好きになるための努力論が溢れているけど、本当は『好きなひとと過ごすこと』と『好きな仕事を追求すること』の方が圧倒的に重要で、好きなことをやるのに自分を擦り減らす努力なんて要らないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 30
こうでなければいけないということなんて、本当は、なにひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 29
金は稼ぐよりも金の使い方の方が、健康よりも「健康な身体で何をやるか」の方が大事だと思うのだけれど、そこが語られることは少ない。本当の意味で生きるとは、自分の命を引き延ばし続けることではなく、自分の命を賭けてもいいと思えることに、自分の生命を注ぎ込むことではないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 28
普遍的な喜びを得るには、 1・身体を動かす 2・ものをつくる 3・自然に触れる この3つが効果的でした。 【貧乏性最強説】私が貧乏性によって躁鬱病と統合失調症を克服し、三ヶ月で15キロ痩せた話。 - いばや通信 http://t.co/7zbXZHS1hE
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 27
みんながやりたいことをやり始めたら社会はまわらないなんて、多分、嘘だ。誰もがお前みたいに好きなことをやったらどうなると思っているのか、とか、そんな言葉を言われた時は「よく聞け、誰もがやりたいことをやり始めたら、この星が宇宙で一番しあわせな星になるんだよ」と答えればいい。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 24
金銭のロスは軽傷で済むが、金銭のロスを恐れるあまり、勇気まで失ってしまったら重傷になる。勇気は「あるひとにはあるけれど、ないひとにはない」ものではなく、出すか、出さないか、瞬間瞬間における目の前の決意だ。勇気に「いつか」は通用しない。現在にないものは、多分、永遠にない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 13
「やりたいことをやる」「自分の好きな人と同じ時間を過ごす」「行きたい場所に行く」こと以上に、優先するべきことはあるだろうか。自分の理想は「今日も生きた」と思って毎日眠りにつくことであり、最後の瞬間に「俺は生きた」と思いながら、こどもが眠るように、人生に幕を降ろすことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 2
生き方に正解もクソもないのだから、正しさよりも楽しさだと思っている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 30
プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 28
自分を守ろうとするから、弱くなる。つまらないこだわりも自尊心も知恵も技術も経験値の幅も、自分の身を縮めるだけだった。自分なんかどうなってもいいと思えるくらいに、自分を差し出せるものを見つけること。自分を強化させるものではなく、自分を吹き飛ばしてくれるものを見つけること。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 24
本当の意味で考えるということは、情報を得ることではなく「情報を遮断する」ことからはじまると思う。静かな状態に自分の身を置いた時に、内側から自然に湧き出してくる「感覚の気泡」をベースに思いを巡らせていると、必ず何かを獲得する。多分、身体は既に答えを知っているのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 21
金銭も花束も知識も技術も自分自身も、溜め込んでいるうちは宝の持ち腐れで、誰かのために使ってこそ本領が発揮される。「いまを生きる」最良の方法は、いま、少なくともひとりの人間に喜びを与えることはできないだろうかと考えて、実際に『自分を使って試してみる』ことではないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 21
「金がない」ことが貧困なんじゃなくて「金がないと思っている」ことが貧困だと思う。経済的な問題のようで、実際は精神的な問題(こうなったらどうしようの恐怖に押し潰されているだけ)に見える。『金がなければ何も出来ない』ということは、多分、スマホが登場した辺りから嘘になった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 20
夕日を眺めながら、自分には五感があるのだということと、五感には賞味期限があるのだということを思った。見たいものを見ることも、聞きたい声を聞くことも、不可能になる日が必ず来る。それならば、自分の身体を「(自分ではない)自分が好きなもの」の為に使い果たして死にたいと思った。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 18
世界一周をしたことがあるとか、海外に住んでいたことがあるとか、有名なひとと付き合いがあるとか、本を出したことがあるとか、自分には立派な経歴があるとか、それは昔の話であって、いまの話ではないんだろう。いつまでその話をしているつもりなのだろうか、大事なのはいまなんじゃないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 18
所詮、生まれてから死ぬまでの人生なのだ。何も持たずに真っ裸で生まれてきて、何も持たずに真っ裸で死んでいくのだから、自分の持ち物は『全部借り物』だと思う。これは自分の物であるという所有の幻想が、執着(手放すことを恐れる感情)と呼ばれるものを生み出しているのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 16
もったいないという言葉は自分に対して使うものであって、他人に対して使うのは失礼(価値観の押し付け的な暴力)だと思う。学歴があるのにとか結婚したのにとか、知識や資格や技術があるのにもったいないとか、そんなことよりも「後悔しながら日々を生きる」方がよっぽど恐怖だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 16
楽しそうに生きているひとを見ると、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。誰かのためではなく、自分のために生きることが、結果として誰かの力になることがある。自分を深く楽しませることは、決して自己満足なんかではなく、極めれば立派な(この世でひとつだけの)仕事になるのだろう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 14
やりたいことをやる勇気と同じくらい、やりたくないことはやらない勇気も大切になるのだろう。そして、やりたくないことはやらないと決めた瞬間から、自分の人生に言い逃れをすることができなくなる。やりたくないことはやらないのだから、途端に日々は本質的なものにならざるを得なくなる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 14